2013年06月22日

【フィールドレビュー】(旧)相模原オールスターズ Ver1.02

F-03 です。
一介のゲーマー視点による、サバゲーフィールドの個人的レビューです。

各項目毎に「良」「並」「悪」の三段階でざっくり評価。
その他に特記事項と個人的印象を記載しております。

コメントは「異論のみ」求む。





今回は「今は亡き」相模原のフィールド「SAS」(オールスターズ)の個人的レビューです。



■フィールド情報

名称=相模原オールスターズ(通称:SAS)
(旧名称=オールスターズ城山フィールド)

所在地=相模川の河川敷。相模原市立湘南小学校の真隣に位置。

【フィールドレビュー】(旧)相模原オールスターズ Ver1.02


フィールドタイプ = ブッシュ

最適収容人数 = 40~50人





■条件別評価

・立地条件(アクセス) ⇒ 

幹線道路や高速ICからはかなり離れる位置にあるため決して来やすい場所ではなく、しかも帰りはほぼ確実に渋滞に巻き込まれるという状態。

だが当時は「野良でなく安全にサバゲーが出来る場所はここしかなかった」という状態であったため、良くも悪くも神奈川近辺の人がサバゲーをやるにはここくらいしか選択肢が無かったという状況。



・戦場内の構築内容 ⇒ 

戦場はほぼブッシュや木々がメインであるが、ところどころに廃棄されたタイヤや家電・コンテナなどがバリケード代わりとなり、起伏のあるところも存在。さらには中央にバスとやぐらが存在し、ここが戦略的重要拠点として攻防が繰り広げられる。
総じて面積自体はやや狭いものの、非常にバリエーションが豊富で飽きが来ない。



・セーフティ内設備環境 ⇒ 

屋根はおろかテーブルやトイレすら無く、施設らしいものは一切無い文字通り「空き地」状態。レビュー現在の状況と比較するとセーフティ内の設備はかなり劣悪。



(追記)・価格設定 ⇒ 

定例会参加費 = \2,000円(「エクセル製 0.2g弾 1700発入 一袋」 含む)
貸切費用 = (貸切は不可)

運営メンバーが営利を目的としていないため、非常に安価。加えてBB弾が参加時に必ずもらえるので、実際の参加料はほぼ気持ち程度のもの。
集まってくるメンバーの戦い方もあり基本的にはこれでも余ってしまい、参加者同士で「中々弾が減らねぇよ」なんてこぼすこともしょっちゅう。



・運営の質(ゲーム回し・マナー対策・ノリ) ⇒  → 

ゲームの回転以外は最上級。この運営を味わったら、もう並の運営では満足出来ない身体にさせられる。
その力、正に「参加者の評価を逆転させる」ほど。





■所感

かつて神奈川にて大人気を博した、神奈川県下屈指のアウトドアフィールド。
サバゲー黎明期から存在していた老舗フィールドで、長らくは運営の態度が高圧的であったためにフィールドとしての評判は芳しくなかったが終盤になり運営メンバーが変更され、それに伴い状況は一変。

テンポが良くノリも爽やかで、かつルールやマナーに対しては誠実に対応。
同時期に立ち上げられたブログのゲームレポート記事の内容の秀逸さもあり、口コミなどにて評判が広く伝播。気がつけば「また行きたくなる様なフィールド」へと変貌。



ゲームはほぼ全て弾数無制限のフラッグ持ち帰り戦で、更に中央フィールド中央に陣地制圧を意味する「コロ」が二つあり、この「コロ」が二つとも制圧状態で無いと勝利とならないのでゲームの難度が上がる。

また唯一の特徴として「0.2g弾のみ使用」(終盤は例外アリ)であるが、参加されていたゲーマーが黎明期からの古参の方が多かったためか、現代における「バラ撒き」の類の人間はほぼおらず適所へ適量のみ撃ち込むスタイルが大多数を占めており、膠着を変えるのは「連携」や「潜伏」などといった戦術を駆使されることが多い。



フィールドの噂を聞いてか、回を追う毎に訪れる人数はうなぎ上りの如く増加していき、運営の人望もあり非常に個性的かつ人の出来た方ばかりが集まり、圧倒的に収容人数を上回る状態でもトラブルらしいトラブルはほぼ皆無。むしろここで集まった見知らぬメンバー同士が次々と繋がっていくという交友の連鎖反応が次々と発生。



運営メンバーが元々営利や商売を目的としていない「一介のゲーマー」からなるサークルであるためか、実施内容についても色々とチャレンジャブル。
昼休みのハンドガン戦から始まり、朝練やフリマ、キャンプに土日連日での定例会の開催(朝連含む)なども、他のフィールドに先駆けて実施。特に朝練については未だに他のフィールドでも実施はされていない。





こうして運営変更から約二年ほどで大変貌を遂げたフィールドではあったものの、悲しいかな元々の地権者の都合により2011年3月に止む無く閉鎖、現在は更地となってしまっている。
(なお、閉鎖前の最終ゲームは「更地の上に即席フィールドを作成」という稀有な状況にてゲームを実施。一見の価値アリ。)





「運営次第でフィールドの評価を逆転させた」といういいお手本。願わくば、またあの日が戻らんことを・・・。



同じカテゴリー(フィールドレビュー)の記事画像
【フィールドレビュー】ラム・ラム Ver1.0
同じカテゴリー(フィールドレビュー)の記事
 【フィールドレビュー】ラム・ラム Ver1.0 (2014-09-09 01:22)
 【フィールドレビュー】OPS Ver1.00 (2013-07-06 23:32)
 【フィールドレビュー】SPF-第二フィールド Ver1.00 (2013-06-28 02:09)
この記事へのコメント
では異論?を申し上げましょう。
・トイレはありました。確かに現在運用中のフィールドに比べ清潔とは言い難かったですが、朝一番に来るコアスタッフ(社長さん、むしろ持ち出しでフィールドの補修や、時にくじけそうになるブログ担当/改革担当者を飲ませたり家に呼んだり歌わせたりして言葉ではできない励ましができる方)が掃除をしたり、処理を手配したり立ち会ったりしていました。
・テーブルや椅子を常設する案もあり、若干遅れ気味で来るコアスタッフ(やっぱり社長。暑くなければ必ずゲームに参加し、大きな体を全く感じさせない急がない、かつ機敏な動きで必ずその時々の要衝に居て、フラッグゲットはさりげなく後続に引き継ぐという、人を輝かせることで幸せを感じられる人)が自腹でもいいからたくさん設置したい、とおっしゃっていましたが、急速に増えるクルマの数と、クルマの横にシートを組んだ方が展開も撤収も簡単であり、参加人数/車両数に対してフレキシブルに対応できるし、フィールドを撤収する際にも問題になりにくい、というのが当時の判断でした。屋根も然り。
・広報担当スタッフとしては、このフィールドをあえて専門誌を使わずに広げることを意図していました。しかし、もともとジャーナリストの端くれだったため、輝いているプレイヤーを紹介せざるを得ない、というか、写真撮らせてくださいお願いします、という状態でした。
・運営メンバーが一介のゲーマーに徹していた、というのは、嬉しい理解です。もういいや、僕は参加プレイヤーに運営の一員であることを意識していただくことで、ある種の自治を目論んでいたのだと思います。日本型社会主義・・・個よりも社会の目標が優先し、個性の輝きよりも「全体」の集合意識の成長が優先する社会主義の原則を守りつつ、金融資本主義と完全にコミットした希有な体制。大きな会社に所属しないと<定職につかずブラブラしている>と言われかねない雰囲気。そしてもう一つの国号である「和」のもとに自分のアタマで考えないことを美化した「誰かが考えてくれるから今はとりあえず従っとく。自分は後で名無しで文句さえ言ってれば考えてる体が保てるし。」という『割り切り』に本当に辟易していたのです。
ですから僕は、他のブログとは全く違うことを躊躇すらせず書いていました。ずるい行為をするくらいなら、自分を磨き見相手をリスペクトしよう・・・こんな理屈が通じるかな?・・・通じちゃったんですあそこでは。プレイヤーが自分と相手のシアワセはワンセットであることを言うまでもなく理解し、客ではなく、ともにフィールド、つまり「場」をつくり、共有することを自然に受け入れ、実践していたのです。

しかし、僕は言ってしまえば浮かれていました。
どんなことでも始まれば終わりはあります。そしてさらに、あの震災です。僕はプレイヤーのみなさんにフェア・ファン・フリーダムという言葉とともに、自らが主体的に場に関わることを求めました。そして、場が無くなることの悲しさをも押し付けてしまったのです。
このことについて、僕は悩みました。いや、悩む方法さえわかっていなかった時期もありました。
SAS城山フィールドがクローズしたあとも、他のフィールドで、メールで、実際お会いして、そしてブログで、いろいろな方から色々な意見を伺うことができました。何よりも嬉しかったのは、あのフィールドでの邂逅が元となったコミッティーがあり、とくにF-03のように、一緒に考えたことを発展させ、新しい動きに出ている方々が現れていることです。

確かに、運営次第でフィールド(場)は変わります。しかし、運営って一体なんでしょう?問題が起きる前にルールを作っておくことでしょうか?問題が起こらないように排除の論理を行使することでしょうか?
僕はあの時もいまも、考えを変えていません。
自分が楽しめる場は、相手も楽しんでいる場であり、リスペクトを得るには、相手をリスペクトするしかない。失敗はすべて成長の栄養であり、悩んでキツいのは上に上っている証拠だと、やっぱり性懲りも無く信じています。
そして、夢を実現させるのは割り切りではなく、明確なイメージを持ちつつ、焦らず、タイミングをとらえることであるとも。

あなたを始めとして、あの輝ける時間を一緒に味わった仲間は、そのイメージが簡単に持てるはずです。たくさんの人が同時にイメージすると、不思議なことが起こります。これは不思議なことでも何でも無く、人は向いた方が前であるという簡単な原則からくるものです。
世間が前向きという場合、それは誰にとって前なのかを問うてみるのも面白いです。本当に自分が生きたい方向を「前」と言えるならば、もう方向音痴ではありません。
僕はまだ修行中です。あのラストデイに抱き合ったみなさんに、僕たちは何も押し付けていなかったはずです。押し付けることも押し付けられることも無く、みんなの気持ちが、ビジョンが、思いがずっとずっと走っていた。あとで写真をもらうと、ああ、自分ってこんな風に笑えるんだと思った。これはサバイバルゲームに限ったことではなく、いろいろな人が味わったほうが良いことだと信じています。
再現ではなく、進化です。

僕たちは、みなさんは、出来たのです。いや、過去形ではありません。出来ているのです。あとはイメージすることです。イメージに嘘をつかず、行動することです。何も出来ない時は「何もしないを敢えてしている」のですから、気にすることはないでしょう。

ありがとう。また一緒に夢をみましょう。
夢とは、それを見る過程のことも含んでいます。
夢が叶ったら、また新しい夢をみましょう。

本文より長いコメント、というスミソン流・弾数無制限作戦、状況終わり。
Posted by スミソン@SAS相模原スミソン@SAS相模原 at 2013年06月22日 04:12
そうだ、願わくば<故>ではなく<旧>または<前>
と表記していただけると嬉しいです。
<故>が甦ったらゾンビになってしまいますからね(笑)
Posted by スミソン@SAS相模原スミソン@SAS相模原 at 2013年07月05日 11:00
有難う御座います。では順番に。

トイレや他設備については、確かに末期は設置されていたのを覚えています。
が、オールスターズの歴史から考えるとあまりにも末期だったのと、「設備環境と楽しさは比例しない」ということを強調したかったので、あえて詳細は触れませんでした。
他の屋根については納得。「SAS」となった時点で参加者が自前で色々設置してましたから、そう捉えた方がより「ユーザビリティ」ですね。

ゲーマー視点・・・というより、「フィールド(雰囲気も含めた場)」の共有というのは、正にSASならではの手法でしょう。運営側も非営利、つまり向いてる先が参加者と全く同じ「楽しい場の構築」なのですから。これは営利団体には到底出来ないことですよ。今の某稲城フィールドを見てると強くそう思いますね。
その意図を朝礼時やブログにて「公に」公表してくれたからこそ、私たちも同じ目線で考え、実践出来たのです。「ぁぁ、みんな同じなんだな」、と。


最近のモラル低下の兆しにより、危うく私も「オールスターズ」と同じ道を辿ることとなりそうでした(注:私の中で「オールスターズ」と「SAS」は別物として考えてます)。
そう考えると、辿る道は誰しも同じ道なのだと痛感しました。



間違いなく、サバゲー道の「最前線」を行く貴兄より、更なる発展のための知恵を今後も拝借出来れば幸いですね。



取り急ぎ、<故>から<旧>へ変えました。
その意図、私は見逃しませんよ?
Posted by F-03F-03 at 2013年07月06日 21:14
今日は本当にお疲れさまでした。そしておめでとう。
赤い絨毯を歩き、丘を駆け、そしてブログ更新を複数回、コメント返信・・・何でしょう。あなたには(僕があまり抱かない)ライバル意識のようなものを抱きます。40代後半のオッサンがです。可笑しいよね。

僕がサバゲーを始めたのは1997年のいま頃。つまりあなたと同い年でした。中学時代からミリタリー系ホビーを趣味のひとつとしていましたし、今につながるエアソフトガンはKG-9(カート式)、電動ガンはノンホップのMP5を発売と同時に買っていたくらいですから、いつサバゲーを始めてもおかしくなかったのですが、当時はまだインターネットも無く、コンバットマガジンの読者欄でチーム参加や対戦チーム探しをするような状態。しかも重量弾や高圧ガス、全身でバネを引くSUPER 9などが主流で、あるゲーマーの家に招かれた時は「これは僕の入り込む世界ではない」と実感したものです。パワーと設備投資がすべて、という印象でした。
「人撃ってスカッとしましょうよ」なんて言われましたっけ。絶対イヤです。

'97年に僕が一本立ち、つまりスポンサードを得てプロヂューサーとなり、さらにディレクターやレポーターもこなしていた番組「GROOVERACER」の取材という形でサバゲーを経験します。主催者のロッキーさんの店が比較的近所だったこともあり、ロッキーさんはたびたび僕を店に呼んでくれ、ペンギン村に呼んでくれ、監督、君はスタッフだから、とエントリーフィーをとりませんでした。ゲームだけしてスタッフはおかしいので、僕はエントリーシートを作り、生番組の前説の要領でブリーフィングを始めることになりました。雑誌の取材が入る時は対応までしていました。そんな中で僕に近づいて来る人がいました。ロッキーさんは亡くなる前の最後の電話でも「彼と手を切れ」と訴えていました。
実際、僕はペンギン村からオールスターズに至るまで3度ほど、サバゲーを止めています。すべて「こうでなければならない」という押し付けに嫌気がさしてのことです。サバゲーができない時間は、とても辛いものでした。仕事上の苦痛も重なっていました。フィールドに復帰したのはブログを開始する直前、あとはご存知の通りです。
僕が押しつけや決めつけを嫌う理由はまさにそこです。人から考える機会を奪うこと、それは自由を奪うことです。
もちろん、陥ることは無いと確信していましたが、僕は最近それを気にしていました。同じ道を辿らなくてよかった。良い過程を経ましたね。

先述の番組の最終2話を、僕は「フリーダム・エピソーズ」と名付けアムステルダムとニューヨークで「自由とは何か」を取材しました。実のところ、最終回を、僕は編集以来見ていませんでした。テープも失われていました。それをなんと、先日亡くなったパトリックが大事に持っていたのです。今週に入ってからやっと意を決して、僕はそれを見ました。そして愕然としました。番組のラスト、タイムズスクエアで30歳の僕が言うのです。「自由とは・・・(音声カットアウト)」カットインした空をバックに書かれた文字については、今度お話ししましょう。

放送の翌日、会社の机の上にこんな付箋が貼ってありました。
「この局唯一の報道番組が終わってしまったことを、たいへん残念に思います。〜報道部有志〜」

サバゲー道、なんてものがあるとしたら、僕は落第生です。あなたのように戦術指南などできません。僕はただ自由を求めているだけですからね。
それは戦争や決めつけとは全く逆の概念であるということは、Kotakuの記事で述べた通りです。

願わくばともに自由を求めるライバルたらんことを。

Sumison Lensman
Posted by スミソン@SAS相模原 at 2013年07月07日 01:18
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。